4月19日(水)の日記 その2
そいや
今朝、イースターの行事で神父様からお聞きしたお話がとても良かった。
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10円玉の詰まった巾着
堀山有里子/奈良県
携帯電話も、留守番電話もまだない黒電話時代。
今から振り返って考えれば、想像を絶するような不便な時代も、
それが当たり前と思って過ごしていた。
そんな時代に青春時代を過ごした私の忘れられない思い出の中に、
次のようなものがある。
その日は、朝から時雨の降る寒い寒い日で、私の志望校の入試日
だった。
一番苦手な科目が、午前の一科目めにある。
終わった後「もうあかん・・。」と思った。
「残りの科目、どんなに頑張っても、一科目めの失敗の挽回は、
到底できへんやろう。」と思い、荷物をまとめて帰ろうとすら
思った。外の時雨は、いつしか牡丹雪に変わっていた。
筆箱を鞄にしまいかけた私の目に弁当袋が留まった。
「あんたの好物満載弁当、大傑作の出来栄えやから、
絶対食べるんやで~!」
そう言って笑顔で送り出してくれた母の顔が目に浮かび、
「弁当は、食べて帰るか・・。」と、弁当袋に手を伸ばした私は
弁当箱の上に一通の封筒がのっているのに気がついた。
封筒の中に便箋が一枚。
「母さんの声が聞きたなったら、いつでも電話しいや。
今日は一日、電話の前に座ってるさかい。
カバンの底の巾着のお金、好きなだけ使いなさい。
見た目通りの太っ腹母より」
見れば、いつの間にか、カバンの底に小さな巾着が忍び込ませて
あった。
持ち上げると、ずしりと結構重い。開けてみると、よくこれだけ
集めたな~、という程10円玉が入っている。
そして、ここにもメッセージの紙切れが入っていた。
「試験、おつかれさま。10円玉になって、ついてきちゃったよ。
母より」
私は弁当箱の蓋を閉めることも忘れて、公衆電話に走った。
呼び出し音が、一回鳴るか、鳴らないかのうちに受話器をあげる
音がし、母の
「は~い、もしもし。」
と、いつもの優しい声が耳いっぱい聞こえた途端、
もう止まらなかった。
涙も。一科目めの大失敗の話も・・。
母は、何も意見を挟まず、私が話している間中、ただ、
「うん、うん。」
と私の話を聞いてくれた。
話し終わった後、もう、帰ろうと思っていた気持ちが不思議な位、
綺麗さっぱり消えて無くなっていた。
そして、気がつけば、母に、
「昼からの二科目め、頑張るわ。」と伝えていた。
その言葉の後、ずーっと電話の向こうで沈黙が続いたので、
聞こえなかったのかな、と、もう一度声を掛けようとした
ちょうどその時、
「祈ってるから・・。大丈夫。あんたは絶対、大丈夫。
なんてったって、私の娘やもんな。」
と、力強い母の声が耳に届いた。
今、思い返し、よく考えれば、「私の娘やから、大丈夫」なんて、
無茶苦茶な根拠である。
しかし、当時の私にとってはこれ以上ない程に力を与えられた
言葉だった。
そして、私は敗者復活戦に臨むがごとく二科目め、三科目め、と
力の全てを出し切り、
その二ヶ月後、母と共に、その学校の入学式に涙で、臨んでいた。
あの時の、電話の向こうの母が聞かせてくれた、力強い声とは裏腹
に、ほんの微かに聞こえてきた涙をこらえて、母が鼻を啜る音が、
私の入試の勝敗を分けたように思う。
いや、実際のところ、10円玉の巾着を手にした時点で、
もう完全に「諦め」の気持ちは私の中からノックアウトされていて
「へこたれへん!」という気持ちのスイッチが入った、というほうが、正しいかもしれない。
10円玉の詰まった巾着は、母の気持ちがそのまま詰まった
巾着だった。
もう、かなり前の出来事なのに、昨日のことのように鮮明に
思い出すのは、この時の出来事が、今でも、いろいろな困難に
直面する度、私を支えてくれているからに他ならない。
私自身、「母」となった今、とりわけ、あの時の、
母の「強さ」と「優しさ」を身にしみて感じている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「NTT西日本コミュニケーション大賞」より
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2年前に死んだうちの母ちゃんを思い出した…
ええ話や!!!
そいや
今朝、イースターの行事で神父様からお聞きしたお話がとても良かった。
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10円玉の詰まった巾着
堀山有里子/奈良県
携帯電話も、留守番電話もまだない黒電話時代。
今から振り返って考えれば、想像を絶するような不便な時代も、
それが当たり前と思って過ごしていた。
そんな時代に青春時代を過ごした私の忘れられない思い出の中に、
次のようなものがある。
その日は、朝から時雨の降る寒い寒い日で、私の志望校の入試日
だった。
一番苦手な科目が、午前の一科目めにある。
終わった後「もうあかん・・。」と思った。
「残りの科目、どんなに頑張っても、一科目めの失敗の挽回は、
到底できへんやろう。」と思い、荷物をまとめて帰ろうとすら
思った。外の時雨は、いつしか牡丹雪に変わっていた。
筆箱を鞄にしまいかけた私の目に弁当袋が留まった。
「あんたの好物満載弁当、大傑作の出来栄えやから、
絶対食べるんやで~!」
そう言って笑顔で送り出してくれた母の顔が目に浮かび、
「弁当は、食べて帰るか・・。」と、弁当袋に手を伸ばした私は
弁当箱の上に一通の封筒がのっているのに気がついた。
封筒の中に便箋が一枚。
「母さんの声が聞きたなったら、いつでも電話しいや。
今日は一日、電話の前に座ってるさかい。
カバンの底の巾着のお金、好きなだけ使いなさい。
見た目通りの太っ腹母より」
見れば、いつの間にか、カバンの底に小さな巾着が忍び込ませて
あった。
持ち上げると、ずしりと結構重い。開けてみると、よくこれだけ
集めたな~、という程10円玉が入っている。
そして、ここにもメッセージの紙切れが入っていた。
「試験、おつかれさま。10円玉になって、ついてきちゃったよ。
母より」
私は弁当箱の蓋を閉めることも忘れて、公衆電話に走った。
呼び出し音が、一回鳴るか、鳴らないかのうちに受話器をあげる
音がし、母の
「は~い、もしもし。」
と、いつもの優しい声が耳いっぱい聞こえた途端、
もう止まらなかった。
涙も。一科目めの大失敗の話も・・。
母は、何も意見を挟まず、私が話している間中、ただ、
「うん、うん。」
と私の話を聞いてくれた。
話し終わった後、もう、帰ろうと思っていた気持ちが不思議な位、
綺麗さっぱり消えて無くなっていた。
そして、気がつけば、母に、
「昼からの二科目め、頑張るわ。」と伝えていた。
その言葉の後、ずーっと電話の向こうで沈黙が続いたので、
聞こえなかったのかな、と、もう一度声を掛けようとした
ちょうどその時、
「祈ってるから・・。大丈夫。あんたは絶対、大丈夫。
なんてったって、私の娘やもんな。」
と、力強い母の声が耳に届いた。
今、思い返し、よく考えれば、「私の娘やから、大丈夫」なんて、
無茶苦茶な根拠である。
しかし、当時の私にとってはこれ以上ない程に力を与えられた
言葉だった。
そして、私は敗者復活戦に臨むがごとく二科目め、三科目め、と
力の全てを出し切り、
その二ヶ月後、母と共に、その学校の入学式に涙で、臨んでいた。
あの時の、電話の向こうの母が聞かせてくれた、力強い声とは裏腹
に、ほんの微かに聞こえてきた涙をこらえて、母が鼻を啜る音が、
私の入試の勝敗を分けたように思う。
いや、実際のところ、10円玉の巾着を手にした時点で、
もう完全に「諦め」の気持ちは私の中からノックアウトされていて
「へこたれへん!」という気持ちのスイッチが入った、というほうが、正しいかもしれない。
10円玉の詰まった巾着は、母の気持ちがそのまま詰まった
巾着だった。
もう、かなり前の出来事なのに、昨日のことのように鮮明に
思い出すのは、この時の出来事が、今でも、いろいろな困難に
直面する度、私を支えてくれているからに他ならない。
私自身、「母」となった今、とりわけ、あの時の、
母の「強さ」と「優しさ」を身にしみて感じている。
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「NTT西日本コミュニケーション大賞」より
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2年前に死んだうちの母ちゃんを思い出した…
ええ話や!!!
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